モーションウィジェット

  • モーションウィジェット

« 「結婚なんてお断り!?」イベント告知 | トップページ | 「明若曉溪」第9話 »

2015年9月23日 (水)

喜時之言,多失信 怒時之言,多失體

ロイ君・・・・。またなにかあったんでしょうかねえ。

深読みするような内容ですよねええええ。日本の空はこんなにも晴れ渡っているのに。

「喜時之言,多失信 怒時之言,多失體 」(喜びに乗じて言に過ぎれば多く信頼を失い、怒りにまかせて言に過ぎれば多く事態を失う)

タイトルの言葉は古典「酔古堂劒掃」法部66の言葉。

詳しくはこちらを参照。

http://cogito.jp.net/kanshi/mado/suikodokenso.html

http://www.kokin.rr-livelife.net/syutten_search.html?a1=%E9%99%B8%E7%B4%B9%E7%8F%A9&b1=%E9%85%94%E5%8F%A4%E5%A0%82%E5%89%A3%E6%8E%83

3喜時之言,多失信 怒時之言,多失體

考えを尽くして一つの事柄を説明し終わった際、あきらかに相手が理解したとは思えないが、それでも理解してくれたかもと期待を持っているときに限って、きっぱりとこう言い切ってくれるのだ。「わかりました」(理解しました)と。全くそんな答えを信じられるような状況ではないにも関わらず。そんな時僕はいつも綱渡りでもしているような感覚に襲われる。なぜなら、もし相手がわかっているという前提を信じないで会話を続けたなら、そんな対話は僕に罪悪感をもたらすし、万が一その後の会話や討論の答えが全くこのことを理解していなかったとしたら、僕はまるで綱渡りの綱を踏み外したかのようにたちまち底知れぬ谷へ落ちて、つかまるものもなく、ばたばたともがいてしまうのだ。

我知道了(我明白了)・・・・わかりました(理解しました)。この四文字は程度を表す言葉で、ある種の約束として口に出すようだ。そう。「君を一生幸せにするよ」という言葉のように。薄っぺらで、勇ましい。こんな一言を言えるくらい勇ましいエネルギーで満たされているからこそ、互いを一生支え合って行ける力があると信じられるのだ。しかし全力を傾けたロマンスも、谷底へ落ちたとしたら粉骨砕身の痛みに耐え、それでも顔には笑みを浮かべていられるだろうか。

幸せというのは人によって違う。

約束というのは、ある種自分で自分にかける鎖。相手がこう願っているだろうなという範囲に、価値観の違いをすり合わせた中にかけるもの。「わかりました」。この四文字を耳にすると、僕の人生までは支えなくてもよいけれど、もしこの先の会話が理解の範疇を超え、困惑と無力と自省の峡谷の上を約束という名の綱で渡らなければならないとしたら、向かうのが一番近い地点だとしてもやっぱり谷底へ落ちるのだろう。それはある種のロスであり、互いの命の無駄遣いなんてしたくないと思う。それがただの誤解だったとしても、僕は相手がわかったと思い、相手だって僕がわかったと口にするが、結果、どっちもわかっちゃいないのだから。
そういうわけで、信じながらも、信じないというのは天から与えられた課題だから、もしかするとこんなにも極端じゃないのかもしれないが。

けど、洗わないとすっきりしないんだ。


« 「結婚なんてお断り!?」イベント告知 | トップページ | 「明若曉溪」第9話 »

ロイ・チウ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 「結婚なんてお断り!?」イベント告知 | トップページ | 「明若曉溪」第9話 »